関空発 シルクロードの旅 §壱§
昨年の9月、「中国行きたいねんやろっ!」「子供もまだ小さいし、行ってきぃ!」と快く旅立たせてくれた男前の奥さんに感謝しつつ、5泊6日で中国の敦煌・トルファン・ウルムチ、いわゆる西域(シルクロード)に旅立ちました。
いつも、航空チケット片手のフラフラ旅をしていたので、ツア-旅行には多少の窮屈さを感じましたが、『夏期休暇は短く、中国は広い』 ため、今回はツアーで行くことにしました。
9/13 JAL793便にて日本を出国。
体調は風邪気味で、のどが痛いが、昨日のブトウ糖注射のおかげで回復傾向にある。
10:24機内に入る。
海外旅行で日本の航空機に乗るのは初めてだが、席についてびっくり!
なんと、エコノミーなのにテレビが付いている。
それに、自分のペースで見れるらしく、巻き戻しもは早送りも自由自在。
座席も心なしか広く思える。さすがはJAL!
今日の予定は、上海経由、蘭州経由、敦煌着というもので、丸1日かけての飛行機の旅となる。
途中の上海では、国内線に乗り換えのため、7時間ほど時間が空くことになる。
ツアーには付いていないが、その間に上海の町も見物しようと考えている。
比較的スムーズに、上海浦東空港に到着。
入国手続きをし、実にあっけなく中国に入国する。
空港内に売店があったので、物の値段を知るためと、細かいお金に両替えするためにペットボトルの水を買う。
中国のミネラルウォーターは3元だったが、アメリカ製のミネラルウォーターは11元だった。
100元札しか手持ちに無かったので、高いほうの水を買う。
インドと違い、お釣をごまかしたりはせず、レシートとともに、正しいお釣りの金額を戻してくれた。
乗り換えの飛行機の出発時間が、2時間延びたため、上海には9時間滞在できる事になった。
ツアーの人たちは高齢の方も多く、空港に残る人も多くいたが、せっかくの上海を観て周らない手は無い。
ツアー参加者のうちの有志4名ほどで、上海の街を見物することにした。
≪中 国≫
正式な国名は、中華人民共和国(People's Republic of China)で、中国語では「ジョングオレンミンゴンホーグオ」と発音します。
中国は地方によって全然言語が違っていて、標準語として北京語を学校で習うようです。
普段の人々の間では上海語が使われていて、日本人が良く知る「ニイハオ(こんにちわ)」も上海語では「ノンホゥ」、ウイグル語では「ヤフシムーシズ」になる。
これらの言語は、日本人が考える「方言の違い」程度の違いなどではなく、全く違う言語と言ってもいいくらいのものです。
中国の通貨は元(クァイ)。大体1元=15円程度のレートになっています。
元には紙幣と硬貨の両方があって、最高額の紙幣は100元札。
≪上海≫
アヘン戦争以来発展した都市なので、古いものは特には無い街。
地震が無いのでものすごく高い高層ビルが林立。
租界時代の名残が街中に数多く残り、街の建物そのものを見ているだけで充分に面白い。
建物の建設現場を至る所で目にすることが出来る。
古いものをガンガン壊しまくるので、余りにそれがひどいために、 市政府から「ちょっと、待った!」とされるケースが出ている模様。
≪シルクロードについて≫
シルクロードとは、広くユーラシア大陸の東西を結ぶ東西交通路で、中国の西安からイタリアのローマまでを繋ぐ道であったと言われています。
シルクロードという言葉は、中国の敦煌(とんこう 甘粛省)や楼蘭故城(ろうらんこじょう 新疆ウイグル自治区)を発見したスウエーデンの地理学者スヴェン・アンダース・ヘディン(1865~1952年)の師でもあるドイツの地理学者リヒトホーフェン(1833~1905年)が1878年に著した著書「シナ」全5巻の第1巻で、唐の都の長安(現陝西省西安市)から旧ソ連(現ウズベキスタン)のサマルカンドまでを「ザイデンシュトラーセン( Seidenstrassen )」(「絹の道」の意)と表記し、これが英訳されて、ヨーロッパでは「Silk Road」が知られるようになったと言われています。
































