2006年7月31日 (月)

関空発 シルクロードの旅 §壱§

 昨年の9月、「中国行きたいねんやろっ!」「子供もまだ小さいし、行ってきぃ!」と快く旅立たせてくれた男前の奥さんに感謝しつつ、5泊6日で中国の敦煌・トルファン・ウルムチ、いわゆる西域(シルクロード)に旅立ちました。
いつも、航空チケット片手のフラフラ旅をしていたので、ツア-旅行には多少の窮屈さを感じましたが、『夏期休暇は短く、中国は広い』  ため、今回はツアーで行くことにしました。

9/13 JAL793便にて日本を出国。
体調は風邪気味で、のどが痛いが、昨日のブトウ糖注射のおかげで回復傾向にある。
10:24機内に入る。
海外旅行で日本の航空機に乗るのは初めてだが、席についてびっくり!
なんと、エコノミーなのにテレビが付いている。
それに、自分のペースで見れるらしく、巻き戻しもは早送りも自由自在。
座席も心なしか広く思える。さすがはJAL!
 
 今日の予定は、上海経由、蘭州経由、敦煌着というもので、丸1日かけての飛行機の旅となる。
途中の上海では、国内線に乗り換えのため、7時間ほど時間が空くことになる。
ツアーには付いていないが、その間に上海の町も見物しようと考えている。
比較的スムーズに、上海浦東空港に到着。
入国手続きをし、実にあっけなく中国に入国する。
空港内に売店があったので、物の値段を知るためと、細かいお金に両替えするためにペットボトルの水を買う。
中国のミネラルウォーターは3元だったが、アメリカ製のミネラルウォーターは11元だった。
100元札しか手持ちに無かったので、高いほうの水を買う。
インドと違い、お釣をごまかしたりはせず、レシートとともに、正しいお釣りの金額を戻してくれた。
乗り換えの飛行機の出発時間が、2時間延びたため、上海には9時間滞在できる事になった。
ツアーの人たちは高齢の方も多く、空港に残る人も多くいたが、せっかくの上海を観て周らない手は無い。
ツアー参加者のうちの有志4名ほどで、上海の街を見物することにした。Sany0007

≪中 国≫
正式な国名は、中華人民共和国(People's Republic of China)で、中国語では「ジョングオレンミンゴンホーグオ」と発音します。
中国は地方によって全然言語が違っていて、標準語として北京語を学校で習うようです。
普段の人々の間では上海語が使われていて、日本人が良く知る「ニイハオ(こんにちわ)」も上海語では「ノンホゥ」、ウイグル語では「ヤフシムーシズ」になる。
これらの言語は、日本人が考える「方言の違い」程度の違いなどではなく、全く違う言語と言ってもいいくらいのものです。
中国の通貨は元(クァイ)。大体1元=15円程度のレートになっています。
元には紙幣と硬貨の両方があって、最高額の紙幣は100元札。

≪上海≫
アヘン戦争以来発展した都市なので、古いものは特には無い街。
地震が無いのでものすごく高い高層ビルが林立。
租界時代の名残が街中に数多く残り、街の建物そのものを見ているだけで充分に面白い。
建物の建設現場を至る所で目にすることが出来る。
古いものをガンガン壊しまくるので、余りにそれがひどいために、 市政府から「ちょっと、待った!」とされるケースが出ている模様。

≪シルクロードについて≫
シルクロードとは、広くユーラシア大陸の東西を結ぶ東西交通路で、中国の西安からイタリアのローマまでを繋ぐ道であったと言われています。
シルクロードという言葉は、中国の敦煌(とんこう 甘粛省)や楼蘭故城(ろうらんこじょう 新疆ウイグル自治区)を発見したスウエーデンの地理学者スヴェン・アンダース・ヘディン(1865~1952年)の師でもあるドイツの地理学者リヒトホーフェン(1833~1905年)が1878年に著した著書「シナ」全5巻の第1巻で、唐の都の長安(現陝西省西安市)から旧ソ連(現ウズベキスタン)のサマルカンドまでを「ザイデンシュトラーセン( Seidenstrassen )」(「絹の道」の意)と表記し、これが英訳されて、ヨーロッパでは「Silk Road」が知られるようになったと言われています。
 

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2006年7月30日 (日)

関空発 シルクロードの旅 §弐§

ということで、幾人かの人と市内行きのバスに乗り、見所の1つ「ワイタン」に向かう。
付近で降りたつもりが、ワイタンの向かい岸に着いてしまった。
バスから降りた人の流れが、一方向に進むのでついて行くと、なんと向かい岸に渡る遊覧船が停泊している。1元払って、遊覧船に乗り込む。
香港のスターフェリーというよりは、隅田川の屋形船のような遊覧船だったが、バスと違い、エアコンが効いていてとても涼しい。
向かい岸まで約10分。あっという間に到着。Sany0010

ここワイタンは、神戸の異人館付近のような場所でどこかヨーロッパの雰囲気のあるきれいなところだ。
物売りのしつこさを除けば日本とあまり変らない風景に特に感動は無かった。
適当にぶらつき、近くの喫茶店でお茶を飲み、上海名物の焼饅頭を食べる。
おいしい! 味は、学生時代によく食べたホワイト餃子みたいだ。
(千葉にある皮の厚い餃子屋さんです。)
Sany0009

16:30 空港でわかれたグループとの待ち合わせ時間となったので、集合場所まで歩き、バスに乗り込む。
途中、天厚絹荘(テンホー シルク カンパニー)という、1階がシルク工場の2階のレストランで夕食を摂る。社員食堂みたいなところで、可もなく不可もなくといった味だった。
18:00 上海虹橋空港に到着。定刻どおり、敦煌に向けて離陸する。

20:00西安に到着。幾人かが乗り込んできて、30分後離陸する。
22:00予定外の給油で蘭州に到着。
それにしても、 予定外の給油というのは、どういうことだろうか?
詳しい説明が無いのでわからないが、長旅の疲れのせいで、あまり深く考えられない。
23:54ようやく、敦煌に到着。
日本の多くの空港のように、タラップから直接空港施設には入れたり、バスなどで移動などは無く、タラップを降りて、真っ暗な滑走路を5分ほど歩く。
形ばかりの検閲を受け、空港の外に出る。

Sany0016

殺風景な景色と少し肌寒い気温に、外国にいるのだという実感が湧いてきた。
 空港を出ると、太陽旅行社の王翠さんという現地ガイドさんが迎えに来てくれていた。
実は、この太陽旅行社は、一人旅のプランを練っている時に、インターネットで見つけた敦煌の旅行社で、色々とプランの提案してくれたり、列車やバスの情報を教えてくれたりと、
とても親切な旅行社だった。
もし、敦煌を一人旅する方がおられたら、筆者お勧めの旅行社ですのでよろしく!
 バスに乗り込み、並木を抜けて南へ走ること15km 約30分。 
本日泊まる『敦煌賓館ホテル』に到着。敦煌市内の東詰にある結構きれいなホテルだ。
明日の集合時間を確認して、部屋の鍵を受け取り、部屋に入る。
とりあえず、湯船にお湯を張り、体をほぐす。
テレビをつけてみたが、日本語の放送は無く、CNNニュース(英語でした)をみていたが、知らず知らずの間に眠ってしまった。
ただいまの時間、2:30 

≪外灘(ワイタン or バンド)≫
アヘン戦争後、イギリス人が上海で商業活動を進めるのに最適なエリアを造ったのが、
外灘(バンド)の始まりだそうです。外灘は中国語で“ワイタン”と読み、「外」は外国人、「灘」は岸を意味するそうです。
古い西洋の建物が立ち並び、異国情緒あふれる名所。
上海へ行くなら必ず訪れたい場所の一つだそうでう。

≪敦煌(とんこう)≫
中国甘粛省北西部の都市。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市。
近隣にある莫高窟とそこから出た敦煌文献で有名です。
河西回廊の西端にあり、古くから中国と西域との出入口として使われていた。
西にはタリム盆地が広がり、北にはゴビ砂漠、南は祁連山脈とツァイダム盆地を望む。
年平均気温9度、降水量39mm。作物は主に綿花、小麦、トウモロコシ、果物など。
観光名所としては、砂漠の中の画廊”世界有数の仏教芸術の宝庫として知られる莫高窟(ばっこうくつ)。砂の音が管弦楽器のように聞こえる 鳴沙山(めいさざん)。砂の中から湧き出た三日月形の湖の月牙泉(げっかせん)。
シルクロード南路の関所 陽関遺跡(ようかんいせき) などです。

≪現地ガイドについて≫
中国では、『1都市1土産物屋に寄る』ことがルールとして決まっているらしく?必ず高価な土産物屋に連れて行かれます。(日本人観光客以外は絶対寄らないだろう建物の中に、所狭しと、百万円近い絨毯や宝石が置いてある)
カバン1つで旅行しているヒッピーは、シルクの絨毯は買わないと思うのですが・・・・
また、その話し振りや態度は、添乗員というよりは中国政府から派遣されたお目付け役(外貨獲得のための)のようにも見え、常に使うように監視されているような気分になりました。

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2006年7月29日 (土)

関空発 シルクロードの旅 §参§

9/14
AM6:00起床
敦煌の夜明けは遅く、あたりは、まだ 暗い。
荷物をまとめ、貴重品をフロントに預けてホテルの朝食を食べに行く。
バイキング形式の朝食は、中国らしさがなく、味もいまいちだった。
観光の時間まで、1時間ほどあったので、「地球の歩き方」に載っていた、おいしいと評判の牛肉麺屋に行くことにした。
敦煌の町は小さく、碁盤の面のようになっているので、道に迷わず10分ほどで到着。
香港同様、中国では朝食は外で食べるのが一般的のようで、朝から結構混み合っている。
奥では、店の主人らしき人が大鍋に麺を入れて茹でている。
身振り手振りで、牛肉麺(小サイズ)を1杯注文する。
5分ほどで、小学生くらいの女の子が、僕の注文した牛肉麺を持ってきてくれた。
ここの店の子供のようだ。
中国では、こんなに小さい子も家の手伝いをしているのだろう。
うちの子も見習わせなければ。。。。

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肝心の味のほうですが、ちょっと固めの麺に、牛肉のだしの効いたさっぱりスープ。
具のパクチー、ネギ、牛肉、大根がほどよく散らばっている。
唐辛子が喉にはりつき、思わずむせかえったが、おいしい!!
素朴な味だが、奥深い風味に僕は・・・・(まるで 『蕎麦屋萬歳』みたいになってきました)
あっという間に食べ終わってしまった。
代金を払おうとしたが、いくらなのか分からない??
しかたがないので、適当にお札を見せると、代金分だけのお金を抜き取り、きちんとお釣りまで持ってきてくれた。
「謝々!」と言って店を出た。

ホテルに戻ると、観光バスが到着していた。
今日観光内容は、中国三台石窟の1つ世界遺産でもある莫高窟、らくだに乗って夕日に映る金色の砂丘で有名な鳴沙山と沙漠の中にありながら枯れたことのない月牙泉に向かう。
バスに揺られること1時間。莫高窟に到着。
テレビでしかみた事のない 第96窟がそびえ立っている。すごい迫力だ!! ここには、高さ33mの弥勒大仏が安置されています。
ただし、入口が大仏の足元にあるので、見上げても上の方はよく見えませんでした。

Sany0038

それにしても、各窟には盗難防止のために入口に扉が付き、南京錠がされている。その景色は、古びたマンションにも見える。
こういった、世界遺産を管理できたら管理会社としては名誉な事なんだろうけど・・などと、ガラでもない事を考えながら、1時間半ほど窟内を見学する。
中からの写真撮影が禁止なのが残念だった。
近くのレストランで昼食をとり、また じゅうたん工場に連れて行かれる。
日本でもそうだが、安いツアーには必ずといっていいほど、お土産屋に連れていかれる。
安々ツアーの宿命であろう。
 
もと来た道をバスで戻る。夕方の鳴沙山見物までの間、自由時間となったので、一人でホテルから西に10kmほどのところにある白馬塔に行く事にした。
歩くには少し距離があるので、自転車を借りようと思う。
ホテルで貸自転車屋の場所を聞くと、近くにあるとのことだったが、付近を捜すが見当たらない。
とりあえず、白馬塔方面に20分くらい歩いて行くと、自転車屋があった。
もしかしたら、ここで自転車を貸してくれるのでは?と思い、店の中に入る。
貸自転車があるか聞いてみたが、言葉が通じない。
紙に『貸自転車?』と書き、店の方に見せる。
通じないので、「貸」を「借」にしてみると、ようやく察したらしく、「ここは違う」と身振りで教えてくれた。どうも、普通の自転車屋のようだ。
貸自転車屋の場所を聞いたが、知らないらしい。
事情を説明すると、中国語で「係借自行牟○白馬○是有?」と書いてくれた。
多分、貸自転車で白馬塔に行きたい!と書いてくれたようだ。
お礼を言って外に出ようとすると、 みかねた従業員の一人が、
「白馬塔に行くのなら、2時間くらいだから僕の自転車を貸してあげる」と言ってくれた。(多分そういったことを言ったはず)
あつかましくも、借りることにした。

町を背にして、西へ向かう。
借りものの中国製の自転車は、よく走る。
『ガチャ、ガチャ、ジリリリリーン』ペダルとベルの音が、とても素朴で心地よい。
自転車は、その外見に比べよく整備されているようで、快適に走ってくれる。
建物がまばらになり、周りの景色は綿花畑とポプラ並木に変わっていく。
ちょうど綿花の収穫の時期らしく、家族総出で作業をしている。
子供達は木に登ったり、畑の周りを走り回ったりして遊んでいる。
市内とは違い、どうも電気が通っていないようだ。電信柱が一本も無い。
なんだかとてものどかな光景だ。道に迷いながらも、40分ほどで到着。
15元を支払い中に入る。
ちょうど、日本人の団体が来ていて、日本語で説明をしている。
少し離れた所で説明を聞く。団体客が帰ると、誰もいなくなった。
露天商も、群れからはぐれた『スイミー』には興味がないらしく、誰も声をかけてこず、次の客向けの準備をしている。
時間も無いので、町に戻る事にした。
帰りは道にも迷わず、20分ほどで自転車屋に到着。
途中で買った、ブドウ2房をお礼に渡して、ホテルに戻る。Sany0061

Sany0071

≪莫高窟(ばっこうくつ)≫
大同の雲岡、洛陽の龍門とともに中国三大石窟の一つ。
鳴沙山の東壁に、4世紀半ば僧楽尊が夕日を浴びて輝く千仏の威厳を感じ石窟を築き、修行したのが始まりとされている。
その後、元代にいたる約1000年間、石窟は掘り続けられ、約1,000の石窟があったとされるが、現在は492の石窟が保存されています。
さらに一般公開されている窟は、そのうちの100もありません。
さらにさらに今回見学できたのは、そのうちの15窟ほどでした。

≪白馬塔≫
世界史にも出てくるクチャの高僧、鳩摩羅什(くまらじゅ)が敦煌を訪れた時にその白馬が死んだため、敦煌城内に馬を埋葬したという伝説がある塔(ストゥーパ)です。(このストゥーバが訛って、卒塔婆になったそうです)
ちなみに現在の敦煌の街は清代にできたものだそうです。Sany0066

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2006年7月28日 (金)

関空発 シルクロードの旅 §肆§

ホテルに戻ると、鳴沙山行きのバスが到着していた。
バスに乗り込み、夕映えの鳴沙山に向かう。
ここは、莫高窟同様、敦煌観光に着た人が必ず訪れる場所のためか、人で溢れている。
さらに、人だけではなく「らくだ」 も、ところ狭しと座り込んでいる。
 鳴沙山の入口から、らくだに乗り、15分ほどで月牙泉に到着。(往復で30元)
砂山の頂きからの景色が素晴らしいとの事でなので、20元を支払い、はしごの登山道?を登る。
砂地の急斜面を上がるのは、結構つらい。15分ほどかけて頂上に到着。
確かに、上から見る景色は最高だった。
そこには、私たちが想像する月の砂漠的光景が広がっていた!Sany0105

Sany0079

下りはなぜか砂すべり。板切れを渡され、山の中腹から、滑って降りるようだ。
結果、砂まみれになりながら、らくだのキャラバン隊の前に到着。
また、もと来た道をらくだに乗って戻っていく。
夕日に映える鳴沙山を背に、らくだの鈴の音が『カランコロン♪カランコロン♪』と砂漠にこだましている。とても、趣のある景色と音だ。
感傷に浸っていると、さっき撮ってもらった写真のチップを寄越せと、らくだの係に言われる。男のロマンが台無しだ。
 ひとまずホテルに戻り、夕食をとる。
今日は、敦煌名物の黄麺料理だった。中国の料理は、油がたくさん使われており、胃にもたれると聞いていたが、特に気にならない。

 21:30 寝るには少し早いので、ホテル近くにある沙州市場(敦煌夜市)に行く。
ここの夜市は昼間より活気があり、100店舗近くの露天が出ている。
露天で扱っているものは、清朝時代の置物だの、ホータンの玉(ぎょく)など大層価値のあるものだそうで、片言の日本語でその由来について説明をしてくれる。
うさんくさいものばかりだが、逆に興味を引かれる。
結局、お土産に、敦煌古笛というオカリナを2個60元買った。
古い時代の再現品だそうだが、なぜか「ドレミ♪」と音が鳴る??
2時間ほど、散策した後、ホテルの近くのコンビニ風のスーパーで、水1L/2.8元、イチゴミルクオーレ3元で買う。
それにしても最近は、どこの国に行っても、こういったコンビニがある。
値段表示がされていて、値段交渉に労力を割かなくていい点で、とても重宝している。
そして、そういった場所で『現地ならでは!』という食品を見つけるのが楽しい!
ホテルの部屋戻り、服を洗濯して眠る。乾燥地帯だけに夜でもよく渇く。
Sany0137

≪莫高窟(ばっこうくつ)≫
大同の雲岡、洛陽の龍門とともに中国三大石窟の一つ。
鳴沙山の東壁に、4世紀半ば僧楽尊が夕日を浴びて輝く千仏の威厳を感じ石窟を築き、修行したのが始まりとされている。
その後、元代にいたる約1000年間、石窟は掘り続けられ、約1000の石窟があったとされるが、現在は492の石窟が保存されています。
さらに一般公開されている窟は100もありません。
今回、見学できたのはそのうちの15ほどでした。

≪鳴沙山(めいさざん)≫
ここには日本人が想像する典型的な砂漠があります。
シルクロードというと、月の沙漠を歩む隊商というイメージがありますが、敦煌郊外の砂漠は砂というより荒れ地(嘆)が広がっていて美しくありません。
しかし鳴砂山にはサラサラの砂の景色が見れます。
ここでは、らくだに30分ほど乗って鳴沙山の麓まで行きます。
そのあとなぜか、標高100mほどの砂山に登り、頂上から砂すべりを強要(楽しいからと言われ)されます。
名前の由来は、ある一定の条件で砂山を人が滑り降りると地響きのような音をたてることだそうです。
麓には月牙泉という泉があります。
これは、三日月形の泉で沙漠の中にありながら、約2000年もの間枯れたことがないと言われています。
近年、地球の温暖化によって? この水が枯れかかっているそうで、横に貯水池がありました。

≪夜光杯(やこうはい)≫
唐代の涼州詞に「葡萄の美酒、夜光の杯」と詠まれている。
夜光杯は酒泉の特産で、玉を彫刻して作られた酒杯で、暗い闇の中で光を放つことことから名づけられそうです。
耐熱性があり、容易に割れることはない。祁連山の黒みがかった緑や黄色などの玉石を透けるほど薄く磨き あげて作られていて、値段は1つ数百円から数十万円までetc。

≪荷物について≫
僕は旅行に行くとき出来るだけ荷物を絞って行きます。
今回のように1週間程度の旅行でしたら、ディーパック(小さなリックサック)1つに荷物を詰めます。
服なども現地で洗濯したりして、着回したりして、旅行の最終日には、服を処分して空いたスペースにお土産を詰めます。
また、現地での物々交換用にボールペンや安物の時計などを持っていきます。
こういったところでは、お金以上に喜ばれたりします。
ただし、そのほとんどがメイドイン チャイナですが。

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2006年7月27日 (木)

関空発 シルクロードの旅 §伍§

6:45モーニングコールにて起きる。
朝食は、ホテルのレストランで牛肉麺と万頭を食べる。
今日の予定は、バスで、古代の関所跡『陽関』、西田敏行の映画『敦煌』にも使われた『敦煌倣宋古城』、『夜光杯工場』に行き、自由時間を2・3時間楽しんだあと、敦煌駅から寝台電車でトルファンに向かう。
西域は広く、1つの観光地に行くのに時間がかかるため、上記に書いた先に行くだけでも今日だけでバスに8h以上乗ることになる。

8:30バスに乗り込む。
10:10陽関の入口に到着。
ここから、15分ほど歩いた所に陽関の跡がある。
陽関跡に行く前に、昨年できたという博物館に入る。
ここにあるのは、全ても模造品との事だが、シルクロードの歴史が判りやすく展示・説明されていた。
さて、いよいよ陽関の跡に向かう。
ここには一部関所の門の跡(巨石)が残っていたが、当時の面影はそこにはなかった。
長い歴史の中で、その役割を終えて、消えてしまったのだろう。
などと考えていたら、誤ってカメラを落としてしまった。
どうも、壊れてしまったようだ。(・・;)
バスに戻ってから、詳しく調べてみることにする。
バスに戻る途中、トイレを借りるために、土産物屋に寄る。
干しブドウやお菓子、などのほかに高級シルクのジュータンまで売っている。
こんな所で、ジュータンを買う人がいるのだろうか?
店員は、シャカリキでジュータンを売ろうとするが、さすがに誰も買わない。
バスに戻り、1Hほど南西向かってバスは走り、『倣宋古城』に到着。

ここは、井上靖原作、西田敏行主演の映画『敦煌』の撮影の際に作られた実物大のセットがある。
残念ながら、中国では上演されていないらしいが、中国の別の映画でも使用されたそうで、ここを訪れる中国の人も多いらしい。
 またまたバスに乗り今度は夜光杯工場に向かう。Sany0148

途中、さっき壊れたカメラをみてみると、電池の接触部分の金属が欠落している事に気付く。
ここに、ガムの包み紙(銀色の部分)を付け、壊れたストッパーの替わりにバンソウコウで止めてみた。
すると、カメラは動作し、きちんと写真が撮れる様になった。
電池の入替の都度、バンソウコウを張替えるのは面倒だが、何とか使えそうだ。
PM2:00 一先ず敦煌市内に戻ってくる。
2時間ほど自由時間が出来たので、残り少ないバンソウコウの替わりとなるセロテープを買い、沙州市場をフラつく。

 そうそう、皆さんはご存知でしょうか?
Q. 中国の赤ちゃん(1才~4・5才くらいは、おむつを履いていません。
では、おしっこや、う●ち をする場合はどうするのでしょうか?

A. 股の部分が開いているズボンを履いている でした。

このズボンは優れもので、かがんだら、チョロチョロと用が足せるのです。
以前テレビで見てから、中華を旅したら、買おうと思っていたものなのです。
市場の中で子供服の店を見つけ、サイズを確認し、2枚買う。28元
買い物も終わり、敦煌駅に向かう事に。
ちなみに敦煌駅といっても市街地から約200km、時間にして3hもかかる所にある。
さすがは中国!スケールがでかい!
という訳で、ただ今PM5:44 敦煌駅に向かうバスに乗っているのだが、道の状態がとても悪い。
さっき飲んだ牛乳が、バターかチーズになりそうだ!
PM6:30駅に到着。
駅近くのレストランで早めの夕食を取る。
メニューはほぼいつものとおりで、「トマトと玉子の炒め物」「川魚」「人参とセロリの炒め物」「チンゲンサイの炒め物」「スープ」「麻婆豆腐」「万頭」だっ!

PM9:20既に列車に乗っている。
バスに比べ揺れが殆どなく、快適である。
中は、4人1部屋のコンパートメントとなっており、マットもしっかりしていて、2等車とは思えない。
イタリアあたりの寝台車より、よっぽどしっかりしている。
明日は、AM5:00すぎにトルファンに到着する予定だ。
そろそろ寝る事にする。ZZZZZ~Sany0186 Sany0181

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2006年7月25日 (火)

関空発 シルクロードの旅 §陸§

 4:20列車の中で起床。列車の中で、余計な物を処分してさらに身軽になる。
5:10予定通りの時間にトルファンに到着。
バスに乗り、約1時間ほどで市内に着くそうだ。
それにしても、中国の先進化には驚かされる。
市内までは高速が通っているし、道も平坦で揺れも少ない。
買い物をしたら、ビニール袋に入れてくれるし、レシートをくれる。
今日の予定は、『高昌故城』、『アスターナ古墳群』、西遊記で有名な『火焔山』、『ベゼクリク千仏洞』、とっても高い『じゅうたん屋(土産物屋)』、『葡萄溝』(観光園)、『ウイグル族村落訪問』となっている。

朝食後、バスに乗り込み、9:00頃、『高昌故城』に到着。
中国でいう、『城』とは、日本でいう城下町のことを指すらしく、本気で周るとしたら、  1日はゆうにかかる広さがある。
バスを降り、入口の土産物店を抜けると、赤茶けた荒涼とした地が続き、彼方に荒れ果てた故城が望見できた。小学生くらいの子どもが、「千円!千円!」と土産物を売りに来る。
外貨が欲しいのか、お土産の単位はどこにいっても、「千円」である。
大したお土産を買っていなかったので、子供相手に本気の値段交渉をする。
結果20元で、よく分からない鐘の置物と鈴を買う。
後日談で、鈴についていた干支を見ると、僕の干支と妻の干支であった。。。。
故城跡までは乾いた道を500mほど歩かなければならないが、入口付近にはロバ車が待機している。
快適かと思ったら大きな間違いで、砂埃をあげながらロバ車は走らせるので、帽子とマスクそれにミネラルウオーターは必携だった。
続いて、バスに乗り、『アスターナ古墳群』に到着。
歴代貴族の墓が地下にあるのだが、全てを掘り返しているわけではないので、迫力に欠けるようだ。
比べるたぐいのものではないが、イタリアで見たカタコンペのほうが、趣があった。

Sany0201

Sany0231

Sany0232

続いてバスに乗り、『火焔山』、『ベゼクリク千仏洞』に到着。
火焔山は写真で見るより迫力があった。
なるほど、燃え盛る山のように見える。
ベゼクリク千仏堂内は、写真撮影が禁止で、撮影が出来ないのが残念だったが、NHKのシルクロード紀行で放映されていた第20窟が見れて嬉しかった。
それにしても、盗掘による損傷はひどく、ベゼクリク=美しく飾られた家は、美しく飾られていた家となっていた。
はぎ取られた壁画は、いつの日かここに戻ってくるんだろうか?

さて、旅行代金との予定調和のじゅうたん屋に行き、昼食後フリータイムとなったので、トルファン市内をうろつくことにする。
適当に歩いていると地元の生活用の市場があった。
雑多な感じだが、ウイグル・回族などの人たちの生活観がよく見て取れるところだ。
洋服やクツなどの生活用品を取り扱っている建物に入って、カメラのチェックをしていると子供達が寄ってきて、写真を撮ってくれとせがまれる。
2枚ほど撮って見せると(デジカメの液晶画面)すごく喜んでいる。
物売の子供の笑い方と違い、その屈託の無い笑い顔を見ていると、家に残してきた子供の顔が浮かんできた。
どこの国でも、子供の笑顔に勝るものは無い。
。。。。。。。。。もちろん、愛しの妻の顔も浮かんできたことは言うまでも無い。

Sany0243

16:00となり、午後の観光が始まる。
まずは、『葡萄溝』という、ブドウ観光園に向かう。
ここは、トルファン名産のブドウの歴史や記念品などが展示されている所で、中国国内では有名なところらしいが、特に興味を惹かれるものは無かった。
そして、本日際最後の締めは、ウイグル族の村落見学だ。
どういった生活をしているのかなどを聞きながら、おもてなしのブドウやハミウリ、ドライフルーツ(干しブドウ・杏)、ナンなどをいただいた。
その村で作っているドライフルーツを販売もあり、8種類くらいの干しブドウが並べられていた。
しかし値段は高く、味はまあ普通だったので買わなかった。
バスに乗り、ホテルに戻る。

PM9:00夕食後、フリータイムとなったので、町をふらつく。
酒屋があったので、中に入り安くておいしそうなワインを2本(36元)ジャスミンティー(3袋20元)で買う。さらにフラついていると、街頭テレビで何かのドラマに子供たちが釘付けになっている。
まだまだ、テレビの普及率は高くないのかもしれない。
それにしても、9時を回っているのに、子供たちが外にいるのには驚いたが、よくよく考えるとからくりがあることに気付いた。
というのも、ここトルファンやウルムチの公式時間は北京標準時となっているが、実際の時差は2時間ほどあるのだ。
つまり、9時は、実際は7時なのだ。
(ローカルルールとして新疆時間というのが存在するらしい。)
アインシュタインがここに住んでいたらもっと早く相対性理論を思いついたのではないだろうか!?

ちなみに①、ここ新疆ウイグル自治区トルファンの若者の一番人気スポットは、青空ビリヤード(9ボール)のようで、いたるところで、ビリヤードの台を置いて遊んでいる。
しばらくボーっと見ていたが、1日動き回り疲れていたので11番のバスに乗って帰る。
ちなみに②、中国ではバスの番号が10番までしかないらしく、歩いて帰ることを、『11番のバスに乗る』というらしい。

トルファン(吐魯蕃)
敦煌から列車で西に700km 約8h。
新疆(しんきよう)ウイグル自治区、天山山脈の南東麓にあるオアシス都市。
海面下154メートルの低地に位置し、綿花・ブドウを産する。
古来シルク-ロードに沿う東西交通の要地で、〔「吐魯蕃」とも書く〕西域の軍事拠点となった。
特産品はブドウ・ハミ瓜・綿花が有名で、特に乾燥した気候を利用した干しぶどうは絶品です。
観光地としては、交河故域「西遊記」にも登場する火焔山、ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳群、玄奘三蔵が訪れた高昌故城などがある。

高昌故城
高昌故城は、吐魯蕃市街から南東45km行ったところにある。周囲は5kmで、高さ11mの土壁となっているが、何百年ものあいだ風化にまかせているせいか、故城の中は今にも崩れそうな遺跡が点在している。
 漢代から1000年以上にわたって新疆地域の政治・経済・文化の中心で、特に499年に漢民族の麹文泰が興した「高昌国」の時代が最も栄え、天竺への旅を続けていた玄奘三蔵が、乞われてこの地で仏教を講義したことは有名。
   
アスターナ古墳群
アスターナ古墳群は高昌故城に住んでいた、麹氏高昌・唐代の貴族の墓地。
高昌故城の北方約1km、火焔山の南麓にある地価墳墓で、600基近くの墳墓が並んでいる。

ベゼクリク千仏洞
ベゼクリクとはウイグル語で「美しく飾られた家」という意味。
6世紀~14世紀頃の石窟寺院です。石窟内には、美しい仏教壁画がありましたが、イスラム教徒や西洋や日本の大谷探検隊によって、はがしとられてしまい、現存するのは64の石窟だけになってしまった。
参考URL http://www.ryukoku.ac.jp/web/information04/nhk.html

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2006年7月24日 (月)

関空発 シルクロードの旅 §漆§

13:00ウルムチに到着。
まずは、上海並みの大きな都市に驚く。ここは決して田舎ではない!
昼食はホテルのレストランだったが、料理も中々の味で、サービスも行き届いている。
やはり都会の店は洗練されている。 P(^^)F

昼食後、すぐにバスに乗り込み『天地』(てんち 中国語でティェンチー)に向かう。
ここは、東洋のスイスといわれているのだが、個人的には、日光の中禅寺湖の方が綺麗に見えた。
環境にも配慮されているようで、途中から電気自動車に乗換え た。
 帰り道に、カザフ族の家族が経営する、『三姉妹の店』という名のゲルの喫茶店 に立ち寄る。ここでカザフ族のお茶やチーズがいただける。
お茶は番茶に近い味のもので、そこに牛乳と塩を入れて煮出したものだ。
パンは、とても固くて歯が立たない。
よくよく聞くと、お茶に浸して食べるらしい。 納得!Sany0060

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20:00 日も暮れてきて沙漠の中に太陽が落ちていく。
中国では今日が、 『中秋の名月』だそうで、家族揃って月餅を食べる習慣があるらしい。
そういえば、至る所で月餅が売っていたが、単に中国の人は月餅が好きなんだろうと思っていた。
21:30ウルムチ市内に戻り、食事をとる。
23:00(ただし、新疆時間の21:00) 最後の!?じゅうたん屋さん経由で、『紅山公園』に到着。
バスで、頂上まで上がり、ウルムチの夜景を眺める。
香港が100万ドルの夜景なら、ここは3万ドルといったところだろうか!?
名所見学も、これで終了となった。

集合場所のホテルに戻る。出発までここのロビーで時間をつぶすそうだ。
0:20荷物を整理し、最後の付近散策に出る。
街には若者が溢れているが、30分も歩いていると、次第にまばらになっていく。
さすがに、閉まっている店が殆どで、コンビニ風のスーパーしか開いていない。
お土産の不足を買おうと店に入り、月餅を10個ほど買った。
ひとことに月餅といっても、結構な種類がある。
あんこだけのものやら、ハミ瓜入りや、干しブドウ入り、養命酒入りなんていうものもあるようだ。
1:00 ウルムチ市内から北西約17kmの所にあるウルムチ空港に向かう。
20分ほどで、空港に到着。
空港使用料を支払い、チェックインする。
中国では、お酒を機内に持ち込み出来ないというので、少ない荷物を預けることにした。多分、お酒を飲んで暴れたりしないためだろう。
手荒く扱われたら酒瓶が割れてしまうので、タオルやシャツでグルグル巻きにする。
 免税店は当然この時間なので閉まっている。と思いきや、この便のために店を開け出した。
 よく見ると免税店にお酒が売っている。
確認してみると、免税店で買ったお酒は機内に持ち込めるらしい。 理不尽だ!!
(まっ、値段は市価の10倍はしますが・・・)
さらに、中国の場合、免税店でも値段交渉が必要らしく、交渉の結果2つで1000円のチョコレートが、5つで1000円になっていた。
特に買うものが無いので、そういった交渉をボーっと見ていた。
3:00 15分遅れで、ようやく飛行機に乗り込む。
すると、免税店も店じまいらしく、そっけなく片付はじめた。
往路と違い、復路は直行便のため、7時間ほどで関空に着く。
なんて楽なんだろう!

後日談
日本に戻り、お土産の数が足らない事に気づく。
悩んでいると、家の近くに天然酵母のこだわりパン屋があり、そこでトルファンの干しブドウが売っていた。
経過はともかく結果オーライということで、足らずの土産を徒歩1分のお店で間に合わした。皆さんごめんなさい!! m( _ _ )m

天池(てんち)
ウルムチの北東110キロに位置。古代の氷河活動によって作られた、標高1980メートル、周囲11キロ、水深150メートルの透明度の高い湖。
周辺を深い森に囲まれているが、森の中に点在する草原には、カザフ族のパオが点在する。西王母伝説によれば、天地は彼女の浴池で、近くにある東西2つの小天地は彼女の足洗い場だったとされている。

紅山公園(こうざん)
市の中心部にそびえる、シンボル的存在の山。
岩肌が赤褐色をしていることから「紅山」と呼ばれる。
最も高いところで、標高910メートル。山頂からは街全体を眺めることができ、玉皇閣とウルムチ河の龍を鎮めるために建てられた、高さ8メートルの鎮龍塔がある。

あとがき
長々と、とりとめのない旅行記をお読みいただき、ありがとうございました。
ひとまず、これで筆収めとなりますが、機会がありましたら、懲りずに掲載したいと思います。
 

~~~大団円~~~

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2006年7月23日 (日)

関空発 シルクロードの旅 §捌§

  長々と、つたない文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。
この年になるまでに、色々な旅をしてきましたが、手記を持っての旅は最近始めたもので、過去の古い旅行は記憶が曖昧なため、文章に起こすことが出来ないでいます。
 旅の目的は自分の目で、歴史的建造物を見たり、その街の持つ空気を吸うことで、
今までの自分に無い異分子を取り込むことだと言ったのは、父だったと思うのですが、それも、曖昧な記憶となっています。
最後になりましたが、本文中に掲載できなかったシルクロードの景色を掲載しますので、見てください。
ありがとうございました。

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